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2012 1月号

特集 トンギコ・ワールド

 2004年に公開された野中真理子監督によるドキュメンタリー映画『トントンギコギコ図工の時間』は、東京・品川区の公立小学校で展開される授業と子どもたちの生活を描き、多くの人々の共感を呼んだ。

  ここに登場した子どもは、都市生活のなかで、ものづくりの直接体験や自然とのふれあいの機会に乏しい子どもたちだ。彼らは、かつてはどこにでもあった子ども集団にも恵まれておらず、友だちもごく限られている、言わば孤立した都会の子どもたちだ。彼らの多くは高学年になると受験やそのための塾通いに、放課後の時間を限定されてしまうが、そういう現実を受け止めて、けなげに生きていた。だが、このような子ども像は特別なものではなく、高度成長以降のこの国の都市社会の一般的傾向だろう。

  この映画が特別であったのは、この小学校で行われている独創的な図工の授業が紹介されたためだ。そこでは「ものづくり」を中心とした課題に、子どもたちは驚くほどの真剣さで取り組み、完成をしたときには、実に充足した表情を見せる。その一瞬を捉えた映像は、笑顔に偽りがないことをいかなる解説よりも鮮烈に伝達していた。

  『トントンギコギコ図工の時間』は図工の授業を通じて、子どもが子どもらしさを恢復する失地挽回の物語であった。

  『トンギコ』は人々の共感を呼び、図工教育への期待は高まった。図工・美術教育が映像をきっかけにして一時的にせよ世間の注目を集めたのは、1956年の羽仁進監督の『絵を描く子供たち』以来、ほぼ50年ぶりの出来事であったかも知れない。

  この『トントンギコギコ図工の時間』に登場するベテラン教師が品川区立第三日野小学校の内野務氏であることは、広く知られている。映画ではもっぱら内野務氏の工作的領域の指導が中心に扱われていたが、もちろん内野氏の指導は工作だけではない。

  内野氏の実践を、絵画、立体、総合的な造形活動に分類した場合、その絵画指導の理念として、三つほどの視点を挙げることが可能だ。

  その第一は、子どもの素朴な表現に対するひたむきな眼差しである。「子どもらしさとは何か」いう図工教師の誰もが当面する課題に内野氏は朴直に立ち向かい独特の叙情的世界を子どもから引き出すことに成功している。

  内野氏の絵画指導の特色の二つ目として、子どもの行為性に根ざした表現がある。これは子どもが何かを「した」という記憶を切実な実感によって平面に表現することだけではなく、例えば絵の具にシャンプーを混ぜてお風呂の絵を描くというように、平面という舞台で子どもが何事かを「する」という直接的な行為性を持ち込んだものである。

  さらに絵画指導の特色の三つ目として、「見ること」に徹底して注目した絵画がある。これは一人一人の子どもに独自のパースペクティブがあるを認めることで、単なる写実的とはひと味ちがったリアルな表現となっている。

  一方、内野氏の立体は、素材と道具との出会いの物語だと言っていい。とりわけ素材としての木と土は、その中心をなしている。内野氏の工作のカリキュラムには、その木と土の特性に取り組んだ実践が学年の進行に合わせて周到に計画されている。ここでは技術は中心課題ではないが、子どもたちは、ものづくりが実際的な活動であることを身をもって学んでいく。

  内野氏の実践が教育活動として際立っているのは、この工作的な領域を、総合的な造形活動として発展させたことだ。もっとも知られている5年生の『三日野カーペンターズ』の活動はグループで校庭に家をつくるものだが、これは最早、単なる図工の授業を越え、学校全体の活動として定着している。

  この号では、このような内野氏の多様な指導の全体像を紹介することを目指した。ただし、それは内野氏を指導のカリスマとして祭り上げることを意図したものではない。

  読者諸氏が内野氏の実践を直ちに学んで同様の実践を行うことはもとより不可能だろう。一人の教師の30年に及ぶ実践は一朝一夕にできるものではない。学ぶべきは、これらの実践に内在する子ども理解の本質性と普遍性にほかならない。



※写真提供につき日本文教出版株式会社様より全面的に提供ご協力いただきました。また、写真家・桜井ロクスケ氏より一部の写真を拝借いたしました。

1月号 美育インタビュー

図工教師 内野 務 さん
内野さん 「図工室は学校の中のディズニーランドでなくてはいかん」(笑)これがぼくのモットーです。学校の中でいちばん楽しい場所であるべきです。だけど同時に図工室は厳しい工房であるので、授業中の私語は絶対に許しません。それは活動に集中して欲しいから。『トンギコ』にあるように、図工室での座席は毎回くじ引きで決めています。「とみくじ」です。「おみくじ」ではなく、これは「富くじ」。隣りに座った人が豊かになる富くじ。もしも嫌いな友だちと隣になっちゃったなんて言い出す子どもがいたら、くじ引きは絶対にさせない(笑)。…続きは本誌で


  



 

  

表紙:
「ポニーのくる城」
中村晴子
東京・品川区立第三日野小学校
3年生
指導:内野務

表紙

裏表紙:
「いすかと思ったら」
村田浩平
東京・品川区立第一日野小学校
3年生(1988年)
指導:内野務

裏表紙

 

目次

特集 トンギコ・ワールド

美育インタビュー…図工教師 内野 務さん…7
聞き手:野中 真理子さん・水島 尚喜さん・辻 政博さん

ウッチーの指導世界 解説=内野 務 13
■雨の日のものがたり(1年生)
■ねこを描く(2~3年生)
■王様のかわいい赤ちゃん(3年生)
■椅子かと思ったら(3年生)
■家族記念写真(3年生)
■くぎ人間(3年生)
■ウォーター・パラダイス(3年生)
■ヨーロッパの街並み(4~6年生)
■お好み焼き(全学年)
■ふれあい広場(全学年)
■角のある自画像(5年生)
■わたしのイス(5年生)
■三日野カーペンターズ(5年生)
■愛のものがたり(6年生)
■上大崎物語(6年生)
■チャレンジ・ティンゲリー(6年生)
■卒業制作 一枚の板から(6年生)
写真提供・協力:日本文教出版株式会社、桜井ロクスケ

私が見てきた内野さんの授業…宮坂 元裕…34
内野先生との出会いと学び…奥村 高明…35
今の君は君でいいんだ…岡田 京子…36
ウッチーの図工室…森  綾子…37
「トンギコ映画」の普遍性…水島 尚喜…38
交際理解教育の視点から見た内野先生の授業…金  政孝…40
ウッチーと三日野で -学級担任から見た図工専科 内野務先生-…椎名 倫子…44
内野実践に見える造形環境の整備と教師の力量…三根 和浪…48
子どものアートが生まれるところ 内野先生の図工室…佐藤 真帆…52
色と形の魔術師 鈴石 弘之 58

連載 図説 子どもART学 第4回 子どもの造形の豊かさをめざして…辻  政博…62

授業研究●和歌山県
幼児 魔法の水をつくろう…辻  仁美…64
小学校低学年 うつそう うつそう…室谷 美予…66
小学校中学年 雑賀崎の海と山がゆめ友だち!…山中三佐子…68
小学校高学年 狩野派風“根上松”を描こう…笠原  彩…70
中学校 だれもがしあわせになるデザイン…黒田真紀子…72

連載 〈美術/教育〉の扉をひらく -新しい社会文化システムの中へ-
第13回 〈視ること〉と〈美術/教育〉(下)-視覚コミュニケーション能力を軸に-…長田 謙一…74

●東日本大震災 復興日誌 第4回…小野 浩司…80
連載 幼児のひろば 第34回…青森・八戸市・すぎのこ保育園 園長 伊東 健…6・83
美育ニュース…82




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