読者の皆さまへ
3月11日、東日本の太平洋側を大震災と大津波が襲いました。これにより原子力発電所が被災し、私たちはかつてない危機に瀕しています。
地震発生時、小誌は以下に掲げる特集を企画しており、原稿の依頼をほぼ了えていました。このまま通常の編集を行うことも可能でした。
教育雑誌は、ニュースメディアとは異なります。ですから環境や社会情勢の如何に関わらず、独立した専門的言論の立場を維持することも、それなりに見識ある姿勢にも思えました。
しかしその一方、それでは、この未曾有の事態が「まるでなかったこと」のようになってしまうのではないかと思われました。
小誌には、被災地にも多くの読者がおり、また、これまで多くの被災地域の図工・美術教育関係者に原稿の執筆を願っています。震災に触れない誌面構成は、その人たちの心情を裏切ることになりはしないか、懸念されました。
小誌はささやかなりともメディアとしての使命を担っていると考えています。それゆえ、社会問題に迅速に対応することは、当然であり、むしろその責務を負っていると考えています。
今回の震災がもたらした課題は、自然災害からの復興に留まらず、弱者としての子どもたちの支援の問題、被災地の教育の再建、災害を目の当たりにした子どもの精神的なケアなどが取りあえず考えられますが、そこでは、他の教科にもまして、図工・美術の役割が期待されていることが予測されます。
さらに重要なことは、震災を契機に、私たちの生活観や文化・文明、そしてコミュニケーションの在り方がなどが根底的に問い直されると思われることです。
この未曾有の経験は、間違いなく今後の日本社会に思想的、精神的影響をもたらし、必然的に教育に反映されるものでしょう。
編集部では編集委員及び関係者と相談のうえ、この号の各執筆者が震災の影響について論及されることを拒まない旨、通知させていただきました。
これは結果的に、この震災を契機として、これからの図工・美術教育の在り方を考えるというスタンスでの執筆を改めてお願いすることになったと思われます。
他方、被災地の図工・美術教育関係者に安否を問い合わせる過程で、福島県の倉本信之、小野浩司の両氏に、急遽、被災地の現状の報告と展望につき執筆をお願いし、また福島大学の天形健氏より写真の提供をいただきました。
しかし、これらの記事依頼は被災地の方々に更なる負担をかけることにもなってしまいました。
どのように企画を進めるにせよ、被害状況を報告願うことは、被災者に何らかのアクションを「していただく」という構造を免れません。これでは関係が逆転してしまいます。企画のあるべきスタンスは、被災者に「していただく」ことではなく、私たちが何をできるかを考え「する」こと、「始める」ことであるべきでした。
けれども、この号ではそのジレンマを解消できませんでした。3氏及び、取材に協力いただいた方々にお詫び申しあげます。
ついては、次号以降において、「今、私たちにできること」を図工・美術教育の立場から考えてまいりたいと思います。
今回の災害により被災された皆さまの心身のご回復と、地域の一日も早い復興をつよく願っております。
編集部
一昨年急逝したロックミュージシャン忌野清志郎のスタンダードナンバーに『ぼくの好きな先生』がある。この曲は高校時代に彼が実際に出会った美術教師へのオマージュと言っていい。その「美術の先生」は、教育活動よりもむしろ自身の制作に没頭している芸術家肌の、先生らしくない先生だ。
一般的に考えるなら、このような教師の姿勢には問題がある。しかし、この曲が伝えているメッセージは、まったくそうではない。キヨシローは、管理主義に超然と背を向け、自分の感覚に対して誠実に生きている「美術の先生」に、むしろ、自由で豊かな人間を見いだし、共感し、そのような生き方や人間関係こそが、自分たちの精神を解放してくれることをシャウトしたかったにちがいない。
だが、それにしても、先生らしくない先生が、生徒に共感されるという矛盾はなぜ起こるのか。ここに今日の教育の構造的問題があるのは明らかだが、忌野清志郎は、その中での美術教育の特殊な位置についても鋭敏に見破っていた気がする。
図工・美術教育の存在意義の主張として、これまでしばしば採用されてきた論法は、「美術教育は、そもそも具体性のある教科内容を主眼としたものではない」というものだった。これはそれなりにキッパリした主張に思える。けれども、やや距離をおいて眺めとき、この論理の底には、どこかしら鬱屈した心情がわだかまっている気がしないでもない。
ごく素直に考えれば、子どもたちに何かを教えたり、できるようにさせること、すなわち知識・技能の習得は、教師主導というそしりを多少は受けるとしても、教育の基本的効用にちがいない。
九九の計算でも逆上がりでも、今までできなかったことができたときには、はじける喜びがある。「やったね」という共感もこの瞬間に生まれる。それは教師にとっての醍醐味でもあろう。
しかし、この言わば教育の伝統的主戦場で、図工・美術教育は必ずしも主力軍としての華々しい戦功を挙げられなかった。そこで「実利的な成果ではなく、感性とか創造性というような人間の全体性を考えたときに、重要な面を培う教科なのだ。」という論法を登場させた、という見方はうがち過ぎだろうか。
教育を軍事のアナロジーによって語るのは、ムロン不適当。しかし、もしも美術教育者のメンタリティーの深層に、この森での戦いの帰趨に関与できなかったというやましさが、多少なりともうずいていて、それが逆にひねこびた優越感を形成したと考えられるなら、その心理は、一度は徹底的に解剖される必要がある。
近代人が抱く「やましさ」という心性の仮装を敏感に見破り、分析、批判した思想家はニーチェだ。
ニーチェは、強者に対する弱者の怨恨や憎悪から発した感情をルサンチマンの思想として槍玉にあげ、手厳しくとっちめた。
ニーチェによれば、ルサンチマンに陥っている人々は、自身の無力を痛感しており、そのフラストレーションをむしろ肯定し、何もできないことを正当化するようになる。
今日、美術教育が直面している状況の困難さを、このようなルサンチマン的な心情によって解消してしまっているきらいが、私たちにないだろうか。
美術教育のもうひとつのルサンチマンとして、多くの美術教師が、「青年の頃には、画家やデザイナーなどに憧れ、表現者を志していたにもかかわらず、挫折し教師の道を選んだ」という図式から発する芸術や表現に対する“ひけめ”の構造を指摘できる。
実際に多くの美術教育者にこの意識が見られ、とりわけいわゆる戦後初期の美術教育を担った世代の人々に、この傾向は顕著であるように思われる。そして、それら人たちに共通していたのは、実社会とどこかしら距離感とって生きていくというスタンスではなかったか。
ただしこの意識は、近年ではあっさり解消されている気もする。ここには「芸術」というものが、かつてほどの重々しい権威を喪失してる状況があるのかもしれない。
さて、このような美術教育者の心理分析にいかほどの意味があるのか、わからないが、ニーチェはルサンチマンを克服する理念として、よく知られた超人思想を構想した。そのようなものが通用するとは、もちろん思えないし、それでは『ぼくの好きな先生』が投げ掛けた問題は解決しないだろう。
いや、そもそも図工・美術は人間形成の中心課題を担う教科であり、我らにやましさなどは微塵もないと私たちは胸を張りたいのである。この号では、図工・美術教育でこそ構築できる人間関係と教師のあり方について考えたい。
画家・元都立高校美術教諭 小林晴雄さん
音楽のことは私にはよくわかりませんが、清志郎も自分は一体何者なのかということを問い続けていたように思えます。
あれだけ有名になっても毎年OB展には作品を出してくれて、会場にも顔を見せてくれました。そういうときでも、実におだやかな感じで、有名人だという雰囲気はまったくありませんでしたね。
美術の授業は、その時間を生徒たちが、自分の納得のいく形で楽しむことに意味のある時間だと思うんです。別の言い方をすれば、そういう人生の楽しみ方を教えてくれるという得がたい内容を持っているのかも知れません。ですから授業では、私も無理をしなかったし、生徒にも無理なことはさせないようにして、こういう風に描かなければいけないというようなことは言いませんでした。…続きは本誌で
表紙: |
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特集 ぼくの好きな先生 美術教育のルサンチマン
緊急寄稿
3・11 東日本大震災 今、被災地では…
大震災から見えてくるもの
ちょっとここで立ち止まって大きく深呼吸を!
福島・相馬市・ふれあいサポート館アトリエ…倉本 信之…4
東日本大震災にできること、考えること…福島・郡山市立大島小学校 小野 浩司…12
美育インタビュー
画家・元都立高校美術教諭 小林 晴雄さん…17
美術教師よ! アプレギャルドたれ 那賀 貞彦…25
現代における図工美術教育の真の役割とそれを阻むもの 矢木 武…34
ずっと「子ども」・もっと「先生」 たつとみ洋二…42
OSとしての美術教育或いは美術教師 林 耕史…48
技能的実践家としての教師に向けて 谷口 幹也…54
ぼくの大好きな図工の先生 山田 和弘…60
授業研究●新潟県
幼児 いっしょにあ、そ、ぼ…小林 美希…64
小学校低学年 まほうの水…井利 紀子…66
小学校中学年 パズル版画でいろいろ楽しもう…長谷川太郎…68
小学校高学年 聞いてみよう ポスターの声…金澤 健志…70
中学校 インスタレーションを楽しもう…斉藤 博文…72
BOOKS 新刊紹介…奥村 高明…74
『私の中の自由な美術 鑑賞教育で育む力』 上野行一 著
美育ニュース…75
*熊本文庫主要文献解題、幼児のひろば、〈美術/教育〉の扉を開く、は休載しました。