美術に出会う前の美術
岩崎 清/日本ブルーノ・ムナーリ協会 代表
ブルーノ・ムナーリ/芸術家・デザイナー・教育者
(Bruno Munari 1907-1998)
ムナーリのワークショップとは?
-美育文化ポケット44号 番外編-
ムナーリは、こどもたち一人ひとりの感受性とそれを外化させる(アウトプットする)力量の差異について充分わきまえているアーティストです。そして、その差異こそがこどもたちの表現の固有性であると考えていました。造形にあまり興味がないこどもたちの好奇心をかきたてて、造形表現の世界へ無理なく誘導するムナーリの方法は独特です。事物や現象に興味や好奇心を抱くように、あるきっかけを与えると、こどもたちの心が動きます。その心が動くところから行為をはじめさせるのです。それがムナーリのワークショップの特徴です。ここで紹介する7つのワークショップにおいて、こどもたちは活動している中で造形美術の原理や要素を、理屈ではなく、体験的に学ぶことができるように構成されています。それは、こどもが遊び感覚でアート体験をして、造形美術の原理や要素を学習するということなのです。
「木をつくろう」では、自然を注意深く観察することによって、木々の生成の法則について学びます。「ステロタイプ」では、表現と画材の深い結びつきについて知り、「ロッソ」では、生活の中で最も激しく、そして、受け入れられている「赤」を使いながら、色彩とは何かを考えます。「コラージュ」では、異質なものと出会い、新しい美を生み出すという新鮮な表現方法を学び、「テクスチャー」では、こどもたちの路上の遊びを造形美術の表現に結びつけて、表現する喜びと獲得された新しい知の喜びを感じさせます。「直接の映写」では、モホリ・ナギなどが行った実験的表現のように、視点を拡大することによって、事物の新しい側面を知るようになります。「さまざまな形」では、ものの形とそれに内在するエネルギーについて、形の中からイメージを喚起させる方法を学びます。これら7つのワークショップの中には、モダンアーティストたちが制作するときに使っている道具や表現方法が含まれています。そして、こどもたちは自分の背丈にあった感受性で物事の質感や線・色彩といった、造形の要素を学びます。グループ活動の中で、こどもたちがグループの一員として機能し、自他の差異を認識し、一方では個人として最大限の自己発揮ができるように、プログラムが組み立てられているのです。
そして、「遊具」。一人でも複数の人間でも、自らが主人公となって、あるいは幼児ならば大人が先導者となって、遊具のもたらす造形美術の世界に出会います。遊具の一片を手にすれば、こどもたちの好奇心は一歩前に進みます。手にした形や色彩、サインやシンボルが未知の世界へと誘うのです。そこには言葉や文字らしいものは介在しません。遊具の種類によっては適応年令がありますが、遊びには、ただ行為があるだけです。未知へ進もうとするとき、これこそがこどもたちにとって最も大切な要素なのです。ブルーノ・ムナーリが作家として、一般市民として、近未来の市民であるこどもたちの豊かな感性を培うために、文字言語ではない視覚言語の大切さについて、活動という体験を通じて伝えようと試みたのが、ワークショップでした。
遊具は、こどもが遊びながら創造性を育めるように構成されています。物語の画面をいかにバランスよく構成するか、色彩や形体を組み合わせていかに構成するか。自然への観察力をいかに育むか。不定形の図形を組み合わせていかにアルファベットを学ぶか――。事物をさまざまな視点から見ることによって、イメージの喚起力をいかに増進させるか。これらの遊具は、こどもたちが遊びながら、造形的要素を学べるように組み立てられています。
彼は多くの本を書いていますが、その著作の中には、読み方や使い方によっては、読者がワークショプを組み立てたり、あるいは、遊具を創案できたりするようなヒントが散見されます。私たちはムナーリの本を読みながら、既にワークショップを行っているといえそうです。では、7つのワークショップについて、それぞれ詳しく見ていきましょう。
1「木をつくろう」
ムナーリは、木の成長を注意深く観察し、誰もが木を苦労せず描ける方法を考え、樹木の成長の法則を造形的な遊びのプログラムに取り入れました。木は、地面から生えて芽が出て、育ち、幹ができ、そこから枝が分かれていきます。木は、成長するほどその枝は細くなっていき、太い幹から枝分かれします。枝は、もとの幹の2分の1の太さで分かれて、さらにもとの枝の2分の1の太さで2本(ときには、3本や4本)に分かれて……という具合に、上にどんどん枝を伸ばしていくと、大きな木ができあがります。この木の成長の法則をもとに、全紙の紙を等分に切って用意したものを順序だてて床に貼って、こどもたちと大きな木を作ります。そして、できあがった木に葉っぱや虫、動物などを描いていきます。骨格だけだった木は、あっという間にたくさんの装飾をつけた不思議な木に変貌します。みんなでこのできあがった木を持ち上げて、「風が吹いてきたよ」という指導者の呼びかけで徐々に木を揺らします。そして、最後には嵐になって、木はバラバラに壊れてしまいます。こどもたちは、この活動を通じて、木の成長という自然の法則と、ものごとを作り上げていくときの計画的な手順を学びます。そして、次からは好きなときにさまざまな木を作れるようになります。ちなみに、ムナーリは『木をかこう』という絵本を著しています。
2「ロッソ」
このワークショップは、色の広がりを体験させるものです。ここでは、赤い色彩を使った造形遊びを行っています。「ステロタイプ」では黒を使っていますが、ここでは赤系統の色彩だけです。赤は、日常の中でもよく使われる色ですが、ひとくちに赤といっても、いろいろな赤があります。たき火のオレンジ色に近い赤、危険を知らせる信号機やランプの赤、熟したトマトの赤など、それぞれにイメージする赤は異なります。絵の具の赤と白や他の色を混色して、いろいろな赤を作ってみます。こどもたちは、自分の好きな赤を使って絵を描きます。このことは、赤に限らず他の色彩にも応用できるものです。
ムナーリは著書『太陽をかこう』で、東西や時代を横断して、いろいろな人たちが表現した太陽の形と色について、私たちに提示し、色の持つ表現の広がりについて深く伝えてくれています。
3「ステロタイプ」
黒だけのボールペン、フェルトペン、クレヨン、筆、鉛筆など、太さや質感の異なる画材を使って、いろいろな形を表現します。使う画材によって、太く強い線、細く鋭い線、あるいは、やわらかく穏やかな線が生まれます。もし、細く弱い線で家を描くとしたら、その家は強風のときには倒れてしまうのではないかと思うくらい弱々しい家になります。あるいは、太く強い線で描けば、頑丈なコンクリート建築の家となるでしょう。つまり、表現される対象は、描くときに使われる線の強弱や大小などによって変わるということです。また、黒という色彩は感情がなく、ストレートに線を表現することができます。他の色では、感情が混入して、このプログラムの意図が不確実になってしまいます。こどもたちは、それぞれの画材の特色を知ることで、自分の表現したい内容に合った画材を選ぶことになります。
4「直接の映写」
微小なものを拡大することで思わぬ光景を発見したり、遠くのものを見ることができたりするのは、凸レンズの拡大機能によるものです。ムナーリは、この凸レンズの機能を造形活動に取り入れています。軽い羽、カラーセロハン、花びら、糸、メッシュなど、いろいろなものを好みに応じて切って、スライド用のマウントに挟み込み、プロジェクターで投影すると、思いもしなかったイメージがスクリーンに映し出されます。スクリーンに映し出された映像は、色とりどり、形もいろいろで作るこどもによってできあがるフォルムもさまざまです。また、色鮮やかな布や色がついているものでも、光を透過しない素材を投影した場合、モノトーンで像が拡大されたり、素材の特質があらわになったりすることもあります。遊びながら視点の拡大という造形体験ができるプログラムです。
5「テクスチャー」
「テクスチャー」は、布地のテキスタイルという言葉に由来し、もともとは布地の繊維の表現性や素材感を指す専門用語です。このプログラムで、こどもたちは好みの表現性がある素材を使い、その上に紙をあて、擦り出し、点や線、いろいろな模様や形など自分の表現したいものを作り出すことができます。こどもたちが造形活動をするときに、簡単な方法でより豊かに表現できるように、ムナーリはそれをプログラム化しました。硬質の表面や、木の幹や板の凹凸のある木目、ざらざらしたものの表面に紙をのせ、クレヨンや柔らかい画材で擦ると、その物の表面のでこぼこした感じを写し取ることができます。シュルレアリストのマックス・エルンストは木の肌や葉っぱなど、さまざまな素材の表情を持つ表面を写し取って、『博物誌』を制作しています。
6「さまざまな形」
参加者各自が不定形に破られた紙を自由に選び、その形が持つイメージからその形を生かすように絵を描くという造形活動です。例えば、細長い長方形の紙を考えてみます。この紙の形に内在するエネルギーから、長い方の辺を縦にすると、ロケットのように上下に動くエネルギーのようなものを感じます。また、横にすると、新幹線などが水平に移動するようなイメージがわいてくるでしょう。これは、形が持っているイメージが私たちの内にあるイメージを呼び起こすからです。小さいころに、天井板などの渦巻き模様が動物に見えたり、空に浮かぶ雲や影の形から、さまざまなものを思い浮かべたりしたことがあるでしょう。私たちの周囲にあるものから、なにか別のものを連想するという日常的な想像力を刺激し、造形感覚を豊かにしようとするプログラムです。一人ひとりの個性があらわれるので、一つの紙片から同じものを連想するとは限りません。
7「コラージュ」
写真、雑誌、新聞などから違う図柄を何枚か切り抜いて貼り合わせると、それらが溶け合って、まったく不可思議なイメージができあがります。これは、切り取られた図柄がもとのイメージから離れ、お互いに影響しあい、別のイメージを作り上げるからです。すでに完成している写真や図柄を利用するだけで、考えてもみないおもしろい絵や、思ってもみなかったユニークな作品ができあがることもあります。
コラージュは本来「のりづけ」を意味するフランス語ですが、20世紀の美術の一技法として、油絵の画面に新聞紙、壁紙、ラベルなどを貼った立体派時代のピカソやブラックの作品がよく知られています。この技法を使って、夢や幻想や超現実の世界を描きだしたシュルレアリストのマックス・エルンストの作品『百頭女』はよく知られています。
写真提供/日本ブルーノ・ムナーリ協会